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私の子供は発達障害。気づいたきっかけと特徴。 | 子育て主婦の雑記ブログ

私の子供は発達障害。気づいたきっかけと特徴。

 

私の子供たち、9歳、6歳、2歳といるのですが、

9歳の長男は、自閉症スペクトラム
6歳の娘はグレーゾーンであるけれどADHDの傾向が強いです。

しかし初めから自分の子供が発達障害なんて気づいていたわけではありません。
むしろ、長男が小学校一年生になるまで
「発達障害」という言葉自体聞いたことがありませんでした。

そんな私が、何がきっかけで子供が発達障害ではないかと思ったのか、
どういう過程で発達障害という診断が下りたのか、
思い出しつつ体験記を書いてみたいと思います。

長男の小さいころからの特徴

一言でいうと、

・かんしゃく持ち(泣き叫ぶ、泣き止まない、攻撃的)

・人見知りが激しい、同年代の子とうまくかかわれない

・寝ない

・神経質で繊細(些細なことがかんしゃくのきっかけになる)

・要求が細かい(こだわりが強い)

でした。

実際の生活はどんなだったのか、長くなりますが書いてみたいと思います。

 

生まれてすぐから入園までの様子

長男は、赤ちゃんの頃からとても敏感な子でした。

まだ1歳になる前、特に大変だったのが寝かしつけです。

まず、やっと寝かしつけて、隣からそーっと離れると
15分ほどで泣き出してしまいます。

よく寝てる!と思っても40分ほど。
寝かしつけたら一緒に寝る、という生活でした。

例えば寝かしつけて洗い物をしようと蛇口の水を出したら起きるといった感じ。
(狭いアパートだったので、台所がとなりだった)

寝かしつけも抱っこ抱っこでつらいので、添い乳をすると、
1時間近くずっと離れなくて、息子が寝ている間は何もできずに
ただただ添い乳、そして自分も寝る。

起きている間にそばで遊ばせたりおんぶしたりしながら
何とか家事をするという感じでした。

今思えば一人目の子供だったからまだ何とかなっていたけれど
他に兄弟がいたらと思うと恐ろしいです。

離乳食もなかなか進まなくて、少し食べては母乳を欲しがるという感じでした。

人見知りがすごくて、知らない人には抱っこしない、
パパにもあまり懐かなくて、1度預けて出かけたら2時間泣きっぱなし、
パパはずっと抱っこして散歩していたらしく
二度と無理と言われてしまいました。

なので、幼稚園に行く前に2時間以上離れたのは
下の子を出産した3歳の時だけ。

 

1歳半を過ぎると、今度は寝付かなくなってしまいました。
眠くなるととにかく泣いて泣いて。

アパートで、ぎゃんぎゃん泣いて寝ぐずりするので
毎晩ドライブに連れ出していました。

不思議と車に乗せると寝るのです。

30分ほどドライブして、寝たなーと帰ると、
車から降ろすと泣いて、またドライブ。

結局毎日1時間から2時間くらいドライブしていました。

そのころ主人の仕事が不規則で、深夜帰宅だったのですが
車が一台しかないので送り迎えをしていて、
迎えに行くときは連れていく、それからご飯。

一人で寝ていられない長男は当然起きていて深夜1時半すぎてドライブ
生活リズムもめちゃめちゃでした。

 

そして、2歳ごろからかんしゃくをよく起こすようになって。
例えば、食べようと思ったおせんべいが割れていた。
すると、大泣きです。

こっちに同じのあるよ、といっても
「いやだ!これがいい!直して~!!」と泣き叫んだり。

食べたいと思ったものをつい私が食べてしまったら
「出して~」と大暴れ。

おむつを替えたらズボンをはきたくないと大騒ぎ。
どんなに機嫌を取ろうとしても無理で、結局買い物をあきらめたり。

とにかく、自分の思い通りにいかないと、泣いて暴れました。
そしてなかなか機嫌が直らない。

その頃数字が大好きになって、
よくみんなが好きになるアンパンマンとかポケモンとか
キャラクター物、電車や車などには一切興味がなく
数字の書いてあるおもちゃを大事にして、数字ちゃんといって抱えて寝ていました。

3歳になってもトイレで用が足せなくて。
トイレに行くと緊張して出なくなってしまうみたいでした。

公園に連れていっても他の子供たちと関われなくて、
遊びたいんだけど遠慮してしまうというか、
自分を出せずに気を使ってしまうというか、
滑り台でも延々と順番を譲り続けて、
私が「いまだ!入れるよ!」と声をかけてあげないと滑れませんでした。

でも、3歳になる前にはひらがな、かたかなは全部読めたし
数も100まで数えられるようになりました。

 

初めての子なので普通がわからない

そんなこんなでしたが、実際「すごく甘えんぼなんだなー、
ちょっとこだわりが強いなー、神経質だな、怖がりなのかなー。」
くらいにしか思っていませんでした。

2人目を育てているとき、「あれ、女の子ってこんなにラクなんだ!」と思いましたが
今思えば実際長男はかなり育てづらかったのだと思います。

寝ないとか、ままあることで、ここまでなのは私のせいだと思っていました。

それに、生活リズムがおかしいから絶対怒られるだろうと思って
相談なんてできませんでした。

子供中心の生活に変えてあげてとか言われても、
そもそも「寝る」ということがちゃんとできないし、寝たら私も何もできない。

今思えばやらなければいけないことはわかっているんだけど、できないから
相談することが怖かったのかもしれません。

毎日繊細で要求の細かい息子を相手にするのでいっぱいいっぱいで
アドバイスなんて受ける余裕もなかったのかもしれません。

 

でも、当時は自分がいっぱいいっぱいであること、
息子が一般の子とちょっと違うこと、それがわかりませんでした。

毎日ほぼ二人きりで過ごし、生活し、他の子はどんな風なのか
普通の赤ちゃんはどんな風なのか、初めての育児でなにもわからなかったのです。
ただ淡々と必死に生活していた感じです。

やっぱり何か違うと思い始めたきっかけ

幼稚園に入ってからは、まず朝起きるのが大変。
もともとリズムが整ってなかったから当たり前です。

寝たまま着替えさせて、車の中でおにぎりを食べさせ、
泣きながら先生に抱っこして連れていかれる。
始めはそんな感じでした。

幼稚園での生活は、朝はぼーっと座っているけれど、
そのうちみんなと歌を歌ったり活動して、
自由時間は一人で粘土をこねこねしたり、
お友達のことを褒めてあげたりといった感じだったようです。

一度主人の仕事の都合で転園したのですが、
そのあともクラスにあまりなじめず、先生とはたくさんお話しするけれど
お友達とは少し距離があったのか、
みんなが遊んでいるのを一歩離れたところから眺めて楽しんでいる感じだったそうです。

朝は結局3年間ほぼずっと泣きました。
年長さんの時、3歳になった下の子を一緒に通わせたのですが
やっぱり長男だけ毎朝嫌がって泣きました。

そして、帰ってくると夕方かんしゃくを起して暴れ、
ひどいときには蹴ったり叩いたりされ、
18時くらいに10分でも寝てしまえば日付が変わるころまで寝付けない。
結局またドライブに行ったりとそんな生活でした。

それでもまだ、生活習慣のことは人には言えませんでした。

 

やっぱり何か他の子とは違って特殊なのかもと
はっきり思ったのは小学校1年の時です。

始めは普通に通っていたけれど、5月の連休明けから
毎朝泣きながら登校するようになりました。

登校班のお兄さんにカバンを押してもらって。。

私も休ませたら余計行かれなくなると思い
毎日葛藤しながら送り出していました。
泣いて行き渋る中無理やり連れていくのは
いじめているかのような気持になってつらかったです。

 

そのころ、親戚の子供(長男のはとこ)がADHDであると聞き
ADHDってなんだ?と調べてみて、初めて発達障害を知りました

そこで、睡眠障害というところから、自閉症スペクトラムに行きつき、

・こだわりがつよい
・予定の変更などに敏感に反応する
・かんしゃく、攻撃性
・気分と感情の不安定性
・不眠
・社会性の欠如(コミュニケーションが苦手)

など、特徴がぴったりだったのです。

納得するところはあったものの、ではどうすればいいのか
調べて出てくるのは小学校に上がる前からの療育だったりして
手遅れなのかも、と心配になったりしました。

 

専門小児科に相談

その後、主人に相談して、小児精神科のある病院に行ってみました。

そこの先生はとても優しく理解のある感じで、
「特徴はあるかもしれないけれど、誰しもある種
得意不得意のでこぼこはあって、
それがかなり顕著なのが発達障害と言われます。
不得意なことに目を向けるよりも、得意なことを伸ばしてみましょう」

「学習的にもそれほど深刻な様子もないので
学校の先生と相談しながら過ごしやすい方法を模索して、
それでも心配なようでしたらまた相談に来てください」
というような感じでした。

「なんなら学校にこだわらなくてもいいと私は思います」と。

 

学校とも相談して頑張ってみたけれど

それから半年ほど学校の先生と相談しながら
保健室登校などしてみましたが
学校が苦手なことにはやはり変わらず
何が理由かもよくわからずに、悩みました。

がんばって学校に行ってきた日は帰ってくるなり
ぼろぼろないて今日は嫌なことばっかりだったとか
かんしゃくを起こして暴れまわったりしていました。

やはり心配だったので、今度は親戚に紹介してもらって
専門小児科のある医療センターに行ってみました。

 

まずは生活習慣を整えることが第一

初めは、生活リズムを整えないと発達障害かもわからない
ということで
それから1年半、睡眠導入剤のロゼレムを飲んで
様子を見ることになりました。

そこでは家族環境から赤ちゃんの頃から今までの様子
生活習慣など詳しく聞かれ
こっぴどくしかられました。

「こういうお子さんは周りを自分のペースに引き込むのがうまいです。
どうして今まで好き勝手にさせてきたんですか。
その結果今こうなっているんです。
お母さんは絶対にペースに飲まれてはいけません。
引きこもりになる前に、しっかり生活リズムを整えてください。
周りが協力してくれないのなら別居も覚悟するつもりで取り組んでください。」
と、きつく叱られました。

今までだってただほったらかしにしてきたわけではないと
眠れるように2時間も暗い部屋で音楽かけたり、ドライブに連れ出したり
朝、鬼になったつもりで学校に引きずっていったり
一人でずっとがんばってきたのに、と、
涙をこらえるのに必死でした。

側でそれを言われた息子も、涙をぼろぼろこぼしていました。

先生なりの、「真剣に取り組まないとだめですよ」という
喝だったとは思いますが、
息子にも私にもかなりショックで、自分が甘かったのかと
ひどく落ち込みました。

3ヶ月に一回のペースで通院し、近況報告をしながら
3年生の夏休みを過ぎたころ、自閉症スペクトラムの診断がおりました。

学校へは行ったり行かなかったり
保健室登校してからクラスへ行ったり
特別支援級を使わせてもらったり
3年になるまでに色々試行錯誤、努力しましたが、
現在は不登校です。

気が向いたときに、誰にも会わないように
給食だけ食べに行ったりしています。

学校に行っていたころの様子

そんな息子が学校に行っていたころはどんな様子だったのかというと、
一年生の頃はみんなのお手本になるくらいの優等生だったようです。

ダメと言われたことはダメ。
先生の言うことはよく聞いて、ルールを守れない子には注意したりして。
勉強もきっちりと、特に平仮名の練習はお手本をよくみて、
マス目のどのあたりに線が来て、止め、はね、払いまで気を使って。
先生にはよく褒められていました。

休み時間は、文字通り「休みたい」ので
友達が遊びに誘ってくるのが苦痛だったようです。

学校では持ち物を一つ一つ確かめながら
教科書やノートの準備をしていたようです。

 

学校で苦痛だったことと、気づけなかった障害

そんな息子が学校で何が苦痛だったのかというと、
授業中とかみんなうるさい」
「友達がからかってきていやだ」
「休み時間無理やり遊びに入ってることにされて負けとか言われる」
というのが本人の言うところでした。

特別支援級を利用させてもらって、
個人のスペースを作ってもらったりしましたが、
支援級の先生も一人で何人も見ているので
プリントが終わってしまったけど、先生に声をかけられなくて
どうしようどうしよう悩んだり、
フランクな先生の冗談になんて答えたらいいか困ってしまったりでした。

 

就学支援のコーディネーターさんやスクールソーシャルワーカーの方など
面接をさせてもらったりもしました。

その中で、字を書くこと自体にエネルギーを使ってしまう子は
将来字を書くことが疲れて嫌になってしまって
全く勉強しなくなる傾向がある。とおっしゃっていましたが
3年生になった今、全くその通りになってしまいました。

学校に行かないのなら宿題だけはやりなさいと無理にやらせた結果、
ある日、書き取りの途中で力尽きて
それきり鉛筆をほとんど持たなくなってしまいました。

 

持ち物を丁寧に準備していたのは、母的にはとても意外で
家ではすべて散らかしっぱなし、置きっぱなしなので
不思議に思っていましたが
やっぱり机の中に同じような教科書やノートが入っていると
探すのがとても大変で、確かめながら準備していたということらしいです。

 

授業中うるさいというのは、これはほんとに最近になってポロッと言ったのですが
勉強は面白くて授業は好きだったんだけど、
だんだん先生の声と周りの音が混ざってきて、
すごく集中しないとうまく聞き取れなくて
そのうち「あーもーいいや」ってなってた。と。

いわゆる聴覚障害というものみたいです。
しかも、いつもそうだというわけではなく、緊張したり、興奮したり、
疲れたりすると出やすいみたいです。

 

そんな色々なことがある中、神経をすり減らして頑張っていたんだなぁと、
疲れ切って帰ってきてイライラして泣きわめいていたんだなぁと。

学校は行かなければいけない。と本人も思っているからこその
頑張りであり、葛藤であり、かんしゃくであったのだと思います。

小学1,2年生で自分はどういう状態なのか、
人と何が違うのかなんてわかるはずもありません。
本人もとてもつらかったと思います。

 

母の気持ちの変化

初めのうちは、学校は休んではいけないと思っていました。
しかし、本人のことを考えると、学校じゃなくても、
生きる道はあるんじゃないかと思い始めました。

家にいるからと言って安定しているわけではありませんが
これから彼にとっての道を
一緒に探していこうと思っています。

 

まとめ

長々と書いてしまいましたが、これが私と長男の体験談です。

結局のところ、発達障害と気づくきっかけとは、

「他の子と比べてどれくらい育てにくいか」

なのではないかというのが一番の感想です。

 

感覚的なものは人と比べることができません。
生まれた時から持っている自分の感覚は、
過敏だったとしても鈍感だったとしても、それが日常で
自分だけ、とか、異常とかは気づくことは難しいと思います。

小さいうちはなおさらです。

ただ、神経質だとか、かんしゃくを起こすというのには
人には理解できない感覚的な辛さからくるものが
隠れていることもあるんだなぁと思いました。

親はよく観察して、それを推測していくことしかできないのです。

何が苦手なのか、どんな時にかんしゃくを起こすのか。
(人混みに行ったあと、初めての場所に行くときなどパターンに気付く)

つねによく見て研究していかなければ、なかなか理解できないのです。

 

本音を言うと結構苦行です。
しかも、私の場合はお医者さんが教えてくれるわけでもなく、
自分で本を読んだりネットで調べて、
息子と比べてみて、こんなこともあるんだなぁと今まで来ました。

まだまだ息子も私も手探りです。

行政によっては発達障害に小さいころから気づけるように、
健診の時などによく見て話を聞いてくれたりするそうです。

そういう時に、隠さずに、寝ないとか、かんしゃくが酷いとか、
愚痴をこぼすじゃないけど、頼ることができたら
少しは違っていたのかもしれません。

 

今では少しずつ発達障害とはどういうことなのか
知る機会が増えてきていると思いますので、
大変かとは思いますが、調べて観察してみて、
気軽に子育て支援などに相談してみるのが一番なのではと思います。
とくに初めての子は自分では比べることはできないので、
保健婦さんに相談してみたら案外普通だったり、そうでなかったり、
わかるかもしれません。

変な話、学校でも診断が下りることで利用できる支援はぐんと増えます。
グレーゾーンとしていることは結構つらいです。

私は基本ずぼらなので(だから叱られたのですよね)
発達障害だとわかっても療育だとか日常生活を工夫するとか
そういうことははっきり言いますが苦手です。

世の中のお母さんたちは凄いよなぁ、偉いなぁといつも思います。

それでもなんとか息子に寄り添って、
一緒に生活する道を模索していけたらと思っています。

 

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